人間環境大学住環境デザイン論研究室(島崎研究室)のメンバーが建築やすまいやまちを勉強するなかで、生活のさまざまな視点から大学生活を綴ります。

2010/10/18

ご無沙汰です




 こんにちわ(って言う時間でもなかったりしますが)

四年のくさふかです。


気がついたら秋になっていました。
皆さん知っていましたか?苦笑

さて、後期になってうちのゼミの様子はといいますと
三年生は学生フォーラムを絡めた課題に取り組み
四年の我々は前期の末にテーマを決め卒論に本腰を入れております。
とは言っても進行状況は様々ですが。。。



さて、今回のテーマですが
今は秋なのに、戻り戻って夏の話です。

二年前から、長野県の松本の市民芸術館という劇場では二年に一度6月末から7月の頭にかけて中村勘三郎率いる歌舞伎座
中村座を招いて、市民参加型の芝居を作っていまして、
この夏は僕も参加してきました。

もともと僕は芝居が好きでよく地元の劇団の芝居には製作とか裏方として参加していました。
市民参加型の公募のお芝居に参加するのはこれが二度目でした。
ただ、今回の場合は裏方ではなく、役者として参加してきました。

公募で募集していた数は100人。
集まったのは一般参加が60人、テレ・スコラ信濃睦美高校という長野では有名な定時制の高校の学生たちが15人くらい。
で、計75人ほどの市民が参加。
参加者の多くは定年退職間近な中年、主婦、農家、学生と割と幅広く平均年齢は38~40くらいだったかな。
それにあと東京の中村座の役者さん、中村の旦那様、松本の市民芸術館の専従劇団レジデントカンパニーの役者さんを合わせだいたい100人越えの大人数。

演目は
佐倉義民伝
という、千葉県佐倉で悪政に苦しむ農民たちが一揆を起そうとする。
そこへ勘三郎演づる名主の木内宗吾が農民と御上の間に立ち、ついには磔にされてしまう。。。
という、いかにも日本の古典劇、歌舞伎の流れなのだが・・・・

なんと、この歌舞伎は歌舞伎でありながら間に浄瑠璃をはさまずに、代わりにラップを取り入れるという、全く新しい試みをしている。
これは、この演目が過去の話ではなく、今現在に置き換えて捉えられるため。
今を生きる若い人になるべく多く見てもらうのために(自分は何だと)配慮されている。
そのかいあって、東京公演では若い大変大きな反響があったという。

その芝居を毎週二回の稽古を付け一月で組もうというのが市民キャストの役割。
信州の古強者の老人たちが若い役者に農具の使い方を叩き込み、若い役者たちからラップの歌い方を学ぶという世代の違うもの達が互いに影響しあうという、非常にいい相互関係が生まれていた。
本来ならば、ここらで、稽古の風景でも貼り付けておきたいのだが。
残念ながら、僕が稽古に出ていたため写真をとる時間はありませんでした。

ということで、稽古は割愛


さて、市民キャストが劇場内で稽古をしている間も、町は芝居に向けてそまっていきます。
町の電灯にのぼりがかけられて、劇場の前に立て看板が掲げられたり。
芝居というのは、けして一人では出来ない複合芸術ですからおきな芝居を作るためには多くの人の手が必要になります。
それこそ、町という単位で。
市民キャストの公募こそ70強でしたが、実はこの他にも裏方としての参加希望者が実に300人の市民が衣装作りや、広報、当日のモギリから駐車場の整備まで様々な方法で参加して作り上げていくものです。
そして、最後に芝居を完成させるのに、一番必要なもの、それが芝居を見てくれるお客さん。
この芝居では劇場のキャパが2000人、7日間で11公演。計22.000人のお客さんが見に来てくれた(実際には当日券でもっと入っていたようだ)
これだけではなく、歌舞伎の前には舞台挨拶かねて町を人力車でまわる、いわゆる登城行列が行われたのだが。
これの参列者はおそらく40000人。

実際、町が動いた規模の芝居だったのです。

一週間のために60000人もの人が動く、芝居にはそれだけの力があるというのが目に見えて分かる一週間だった。
しかし、この祭りは、芝居の求心力を発見するよりも、関わってくれた人たちの多くに「まだ動ける」「もっとやれる」「もっと楽しみたい」といった表情が伺えたように思えた。
おそらく、この町の人たちはもっと表現の場を求めているように感じた。
こうゆう町はまだまだ伸びる。そんなことを考えたりした夏でした。

乱暴な文だな・・・(反省の色はない)

ちなみに、これを発展させたものが卒論のテーマになる予定です。